福岡高等裁判所 昭和52年(う)644号 判決 1978年4月24日
主文
原判決を破棄する。
被告人を懲役一年六月に処する。
この裁判確定の日から三年間右刑の執行を猶予する。
原審における訴訟費用は被告人の負担とする。
理由
本件控訴の趣意は、検察官控訴につき検察官提出の福岡地方検察庁検察官検事岡田照志作成名義の控訴趣意書に、被告人の控訴につき弁護人田島昭彦提出の控訴趣意書に各記載されたとおりであるから、これらを引用する。
これに対する当裁判所の判断は次のとおりである。
一、検察官の控訴趣意第一点(不告不理の原則違反の主張)について。
所論は要するに、原判決は被告人が井上儀照からその所有にかかる土地を業務上預り占有中、ほしいままに自己の所有名義に所有権移転登記して横領した旨の業務上横領の訴因に対し、訴因及び罰条の変更手続を経ないまま、被告人が登記官をして土地登記簿に右土地の所有権を売買により取得したとの不実の記載をなさしめた旨の公正証書原本不実記載を認定したものであるから、原判決には審判の請求を受けた事件について判決せず、審判の請求を受けない事件について判決した違法があるから破棄を免れない、というのである。
そこで原審記録を調査して考察するに、本件起訴状には公訴事実として「被告人は、福岡市西区室見五丁目一番一四号に木村建設の商号で事務所を設け、不動産仲介業を営んでいたものであるが、昭和四九年一月下旬ころ、井上儀照から、被告人において仲介をしていた分譲住宅についての分譲申込みと併わせてその頭金捻出のために右井上所有の同区大字石丸字古川一六三番の一及び六並びに同字古川二〇一番の七の三筆の土地(合計約二〇五・四五平方メートル)に抵当権を設定するなどして銀行融資を受けることを依頼され、同年二月一日ころ、同人から右各土地の各登記済証、同人作成名義の白紙委任状等抵当権設定に必要な書類を受け取って同人のため右各土地を業務上預り保管中、同月七日ころ、ほしいままに、右各登記済証及び委任状等を利用し情を知らない司法書士樋口恵子をして同区祖原一四番一五号福岡法務局西新出張所において、右各土地につき売買を原因とする右井上から被告人への所有権移転登記申請手続をさせ、よって同日同出張所登記官をして右申請に基づき不動産登記簿に右各土地につき被告人が所有権を取得した旨記載させ、もって自己の占有する右井上所有の右各土地を横領したものである。」と、更に罪名及び罰条として「業務上横領、刑法二五三条」と各掲記されているところ、原判決はこれに対し、被告人が井上儀照のため「右各土地を業務上預り保管中」とある部分を除き公訴事実のとおり事実を認定し、「もって情を知らない公務員に公正証書原本不実記載をさせたものである。」として公正証書原本不実記載の罪の成立を認め、その理由として「それは、公訴事実に示されたとおり当裁判所も認める事実に対する法的判断の相違であるから、公訴事実につき訴因変更がないまま判示のとおり公正証書原本不実記載と判断した。」と説示していることが明らかである。
しかしながら、審判の対象となるべき事件とは、検察官が訴因として主張した犯罪事実をいうものと解すべく、本件起訴状掲記の前記公訴事実及び罪名、罰条の各記載に徴すれば、その起訴にかかる訴因は前記のとおり業務上横領の事実であって公正証書原本不実記載の事実ではないことが明らかであるから、原判決がその訴因として明示された業務上横領の成立について単に法的判断の相違であるとしたのみでその判断の理由を示すことなく、かつ訴因罰条の変更手続を経ないまま公正証書原本不実記載を認定したのは、刑訴法三七八条三号にいう、審判の請求を受けた事件について判決せず、かつ審判の請求を受けない事件について判決した場合に当たるから、原判決はこの点において破棄を免れない。論旨は理由がある。
二 検察官の控訴趣意第二点及び弁護人の控訴趣意(いずれも事実誤認等の主張)について。
検察官の所論は要するに、原判決は業務上横領の訴因に対し、法定刑の軽い公正証書原本不実記載の事実を認定しているが、被告人が本件各土地を業務上占有していたこと及びこれを不法に領得したことを認定しなかったのは、事実を誤認したか、法令の適用を誤ったもので、これが判決に影響を及ぼすことは明らかであるというのであり、弁護人の所論は要するに、被告人は本件土地の所有者である井上の同意を得たうえで自己名義に所有権移転登記をなしたものであるのに、原判決がこれをもって公正証書原本不実記載に当たるとしたのは事実を誤認したものである、というのである。
そこで原審記録を精査して検討するに、原審が適法に取調べた後記「証拠の標目」に挙示する各証拠によれば、本件公訴事実は十分これを肯認することができる。すなわち右証拠によれば、本件各土地の所有者である井上儀照が被告人に対し、本件土地三筆の各登記済証及びその作成名義にかかる白紙委任状などの各書類を手渡したのは、被告人が井上のために、その仲介にかかる分譲住宅取得に要する頭金一八〇万円を含む三〇〇万円程度の融資を銀行から受けてやる旨を約束し、そのためには本件各土地につき抵当権を設定するため必要であるとして前記各書類を要求したことによるものであって、井上としては被告人に対してはもとより他に本件各土地を売渡す意思は毛頭なかったこと、ところが被告人は前記書類を受取ったことを奇貨として、これを担保に井上のため融資を受ける意思ではなく、自己のため他から融資を受けるため、右井上に無断で昭和四九年二月七日右書類を利用して本件土地三筆につき売買を原因として右井上から被告人にその所有権が移転した旨の所有権移転登記を得たうえ、同月一〇日ごろ福岡市所在の有限会社国際信販の営業責任者野田竜介から右土地を担保として金二五〇万円を借受け、自己の営業資金に充当したことが認められる。弁護人は被告人が本件各土地の所有名義を自己に移転するについては井上の承諾があった旨主張し、被告人が井上に対し昭和四九年四月一〇日付で「本件土地代金として金三三〇万円を昭和四九年六月三〇日迄に決済する」旨の念書を差入れている事実等を指摘するけれども、《証拠省略》によれば、右念書は同年四月一〇日ごろに至って被告人において無断で本件各土地の所有権移転登記を得たことを知った井上が、同人を告訴する旨難詰した際、被告人は井上に対し詫びを言い、その弁償の申出として右念書を作成したものであり、井上は後日告訴等に使用する証拠としてこれを受取ったことが認められるから前記認定を左右するには足りず、《証拠省略》中その所論にそい右認定に反する部分は《証拠省略》と対比してたやすく措信できず、他に前記認定を左右するに足る証拠はない。
とすれば、被告人は不動産業者としてその仲介にかかる分譲住宅を井上に取得させるため、同人からその所有にかかる本件土地三筆につき抵当権を設定することにより融資を斡旋することを依頼され、これに必要な書類として本件土地三筆の登記済証及び白紙委任状等を交付されていたものであるから、法律上本件土地三筆を占有していたものというべく、右書類を利用して本件土地につき自己の用に供するため、右井上の意に反してほしいままに、登記簿上自己の所有名義に移転登記をなしたことは、これを不法に領得したものというべきであるから、本件につき被告人は業務上横領罪の罪責を免かれない。従って検察官の論旨は理由があるが、弁護人の論旨は理由がない。
三 結論
よって刑訴法三九七条一項、三七八条三号、三八二条により原判決を破棄したうえ、同法四〇〇条但書により、当裁判所において直ちに次のとおり判決する。(なお弁護人の本件控訴は理由がないが、本件は検察官の控訴を理由があるとして原判決を破棄すべき場合であるから、主文において控訴棄却を言渡さない。)
(罪となるべき事実)
被告人に対する起訴状記載の公訴事実と同一であるから、これを引用する。
(証拠の標目)《省略》
(法令の適用)
被告人の判示所為は刑法二五三条に該当するから、その所定刑期の範囲内において被告人を懲役一年六月に処し、被害者井上との示談の成立その他諸般の情状により刑法二五条一項を適用してこの裁判確定の日から三年間右刑の執行を猶予し、原審における訴訟費用については刑訴法一八一条一項本文を適用してこれを被告人に負担させることとして、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 安仁屋賢精 裁判官 真庭春夫 杉島廣利)